本計画の趣旨は、既存の博物館のイメージを脱皮し、世界に開かれた新しい時代にふさわしい、「文化の伝承と創造」のシンボルとしての博物館を創ることにある。紀元前3世紀ごろの稲作農業技術を持った弥生人の渡来以降、日本文化は「縄文的なるもの」と「弥生的なるもの」の二項対立による相克によって発展してきた。一方、東北の歴史と文化を考えるとき、その基層が縄文文化にあり、特に縄文後期には東北がその中心であったことは学問的にも明らかにされている。弥生文化を象徴するものを水田と見做すならば、狩猟採集を特徴とする縄文文化のそれは森であるという。この森の文明を東北固有のアイデンティティと捉えるとき、あまりに人工的に整備されつくしていく現代文明への反語として、森の再生が主要課題となってくる。そしてこの概念は、自然との共存が必定となる21世紀の建築の在り方を提示することにもなるだろう。本計画では、都市的観点から見た全体計画において「森の再生」をテーマとし、計画地内にできるだけ多くの木を植樹して森を創り出し、このテーマを明確に示した。博物館本体の建築計画においては、「縄文的なるもの」と「弥生的なるもの」に代表される二項対立の対峙と統合をテーマとしている。展示・収蔵庫棟を過去、こども歴史館を未来、そして講堂(伝承)と調査研究(発見・創造)を現代として設定し、それぞれにふさわしい位置と形態と材料を与え、互いに独立させながらも施設中央付近でそれらを衝突させるという表現をとった。またこの博物館を、過去の遺物を陳列するだけの形骸化した墓場のようなものではない、人々がその廻りを歩き回りまとわりつくような楽しい施設となるように計画した。かつて東北を旅した俳人松尾芭蕉は、その著書『奥の細道』の中で「月日は百代の過客にして行きかう年もまた旅人なり」と詠んだ。過去の月日と英知を積み、樹海の上を未来に向けて旅する船として、この建築は計画されている。